東京地方裁判所 昭和40年(むのイ)621号 決定 1965年10月11日
被告人 辻野良成
決 定
(申立人氏名略)
右の者に対する賍物故買および古物営業法違反被告事件について、東京簡易裁判所裁判官向井周吉が、保釈許否の裁判を留保していることに対し、右被告人の弁護人笠井盛男から、準抗告の申立があつたので、当裁判所は、次のとおり決定する。
主文
本件準抗告の申立を棄却する。
理由
一 本件準抗告の申立の趣旨および理由は、弁護人笠井盛男の昭和四〇年一〇月四日付準抗告申立書および同月七日付補正申立書記載のとおりであるから、これを引用する。
二 東京簡易裁判所から取寄せた被告人に対する同裁判所昭和四〇年(ろ)第一、二一七号賍物故買および古物営業法違反被告事件の起訴状、勾留および保釈に関する記録ならびに東京地方裁判所に対する弁護人笠井盛男(以下、弁護人という。)の前記準抗告申立書および受命裁判官太田浩の東京簡易裁判所刑事部第三係裁判所書記官芝田実に対する聴取書によると、被告人は、昭和四〇年九月二日賍物故買および古物営業法違反容疑で勾留され、同月一〇日東京区検察庁検察官から東京簡易裁判所に対し、勾留されたまま公訴を提起されたこと、弁護人は、同月一一日東京簡易裁判所に対し被告人の保釈を請求したこと、同請求事件は、同裁判所裁判官向井周吉(以下、原裁判官という。)が担当裁判官となり、同月一三日東京区検察庁検察官に対し、書面で保釈請求に対する意見を求めたところ、右検察庁検察官から同月一四日付書面で、右保釈請求は、被告人には他に同種余罪が三件あり追起訴の見込である等の理由により不相当と思料するとの意見が述べられたこと、弁護人は、同月一五日原裁判官に面会し、保釈請求の理由等について説明したが、その際原裁判官は、弁護人に対し本件被告事件の公判立会予定の検察官から、被告人には同種の余罪があるので保釈請求は不相当である、という意見が出ており、原裁判官としては、現段階において保釈を許可することはできないから許否の裁判を留保する旨の発言があり、弁護人も同日は原裁判官の右意向を了承し、弁護人において、右検察官に余罪関係を確めてみるということになつたこと、弁護人は、同月二四日右検察官に面会して保釈請求の理由等について説明したところ、同検察官から、取調担当検察官と相談のうえ裁判所に対しあらためて意見を具申しておくと言われたこと、そして、同月二七日、再度原裁判官に面会したが、原裁判官は、公判立会予定検察官の新たな意見がまだ裁判所へ届いていないので、今日は保釈許否の裁判はできない旨の発言をし、これに対し弁護人は、結果の如何は別として、とにかく現段階で決定をしてもらいたい旨要望したところ、原裁判官は、公判立会予定検察官に、余罪の取調状況とその追起訴予定および保釈請求に対する再度の意見を確めたうえ裁判する旨の発言をしたこと、原裁判官は、同月二九日係の芝田実書記官を通じて、右各点につき電話で公判立会予定検察官の意見を徴したところ、同検察官から余罪の取調は終了し、追起訴を予定しているが、保釈請求については「しかるべく」という意見に変更する旨の回答を受けたこと、弁護人は、同月三〇日右芝田実書記官に対し、電話で検察官の意見等を問合せたところ、同書記官から、検察官が保釈請求については「しかるべく」との意見を出して来たことと、原裁判官に面会を希望するなら、明朝、原裁判官が入廷前に来庁してもらいたい旨を告げられたこと、そこで、弁護人は翌一〇月一日原裁判官が入廷前に東京簡易裁判所刑事部第三係書記官室に赴き、右芝田実書記官を通じて、原裁判官に面会の申出をしたところ、原裁判官は、同書記官に命じて東京区検察庁に対し、追起訴の件を確めさせたが、同検察庁検察事務官から、余罪について警察の取調は終了したが、検察官の取調は未了であるとの連絡を受けたため、しばらく追起訴の模様をみたうえで保釈許否の裁判をする意向をかため、それまでは、その裁判を留保しておくこととし、右書記官をして、その旨を弁護人に口頭で伝えさせるとともに、面会を拒絶したこと、弁護人は、この原裁判官が保釈請求の許否の裁判を留保すると伝えた行為を目して、原裁判官が刑事訴訟法第四二九条第一項第二号にいう保釈に関する裁判をしたものであると解したこと、その後同月七日現在において、追起訴の時期は東京簡易裁判所においては確認できない状態にあることおよび前記被告人に対する賍物故買、古物営業法違反事件の第一回公判期日は、同年九月一五日に、同年一〇月一二日午前一〇時と指定されていること等の事実が認められる。
三 そこで、本件準抗告の申立の適法性について判断する。刑事訴訟法第四二九条第一項は、裁判官が、同項第一号から第五号に掲げる裁判をした場合に、その裁判の取消または変更を請求することができると規定し、同条に基づく準抗告の申立は、まず、裁判官が右に掲げる「裁判をした」ことを必要とする旨を明らかにしている。この点について、弁護人は、刑事訴訟法第四二九条第一項第二号は、「保釈に関する裁判」と規定しており、「保釈についての申請を却下若しくは棄却した裁判」とは表現していないから、同号にいう「裁判」とは、「裁判官の意思表示」全般を包括した意味に解すべきであり、原裁判官が、昭和四〇年一〇月一日にしたような保釈請求に対する「決定の留保」は、裁判官が積極的な意思表示をしないということであり、とりもなおさず裁判官の不作為の意思表示があつたものと解せられるから、同法条にいう「裁判」であると主張する。
しかし、およそ裁判とは、裁判所または裁判官の意思表示的訴訟行為をいい、訴訟法上の法律効果を発生させるものであることを要するものである。そして、刑事訴訟法第四二九条第一項にいう裁判官の「裁判」も、これと同意義であつて、別異に解さなければならない理由も必要も存しない。とすると、同条第一項第二号にいう「保釈に関する裁判」とは、<1>保釈を許す裁判およびそれに付随した保証金額、保釈条件の定めまたは保釈の請求を却下する裁判(同法第八八条ないし第九三条)、<2>保釈を取消す裁判(同法第九六条第一項)、<3>保釈保証金を没取する裁判(同法第九六条第二項、第三項)をさすものと解すべきものであつて、原裁判官が、本件保釈の請求に対し、その許否の判断を留保している態度は、裁判の留保であつて、まだ裁判官の意思表示的訴訟行為があつたものとはいえず、右法条にいう裁判にはあたらないものといわなければならない。従つて、右法条にいう「保釈に関する裁判」には、保釈の許否の裁判を留保していることまでも含まれる趣旨であるとは到底解することができない。それ故、この点の弁護人の主張は理由がない。
次に、弁護人は、本件保釈請求を例にとつて、実質的に考察してみると、原裁判官が、保釈請求について、「決定を留保する」ことは、被告人にとつては、事実上、少くともその留保された期間だけ保釈請求を却下されて勾留を継続させられているのと全く同一の効果を与えられているものであるから、これに対して、被告人にその救済手段である準抗告の申立の権利を認めるべきものであると主張する。
なるほど、東京区検察庁から取寄せた捜査記録および前記東京簡易裁判所から取寄せた各記録によると、本件被告事件の内容は、それほど複雑なものでもなく、本件保釈請求に関する前記手続経過に徴すると、第一回公判期日前の勾留に関する処分を担当する原裁判官が、本件保釈の許否に関する裁判を留保していることは、迅速な処理とは言い難い。迅速な裁判の要請は、被告人の憲法上の権利として認められているところであり、被告人の身柄の拘束については、できる限りこれを短期間とするため、刑事訴訟法上、その拘束の理由と期間の点で厳重な制限を設けるほか、権利保釈や保釈の請求を却下する裁判に対する準抗告の申立を認めて被告人の権利を保護しているのであるから、勾留処分を担当する裁判官としては、前記迅速裁判要請の趣旨に則り、できうる限り、勾留処分に関する裁判を迅速にすべきであつて、裁判の留保その他の方法によつていたずらに裁判を遅延させることは厳に慎まなければならない。しかし、本件保釈請求事件において、仮りに、原裁判官に右迅速裁判の要請にそわないところがあつたとしても、これを救済するに足りる刑事訴訟上の制度がなく、原裁判官に対する司法行政上の措置を求めうるに止まるのである。弁護人は、原裁判官が本件保釈の許否の裁判を留保している態度をもつて、準抗告に関しては、原裁判官が本件保釈請求を却下したものとして取扱うべきものであると主張するが、刑事訴訟法第四二九条第一項第二号の解釈として、その主張のような解釈を採用することができないことは、前記のとおりである。従つて、この点の弁護人の主張も理由がない。
四 以上によつて、弁護人の本件準抗告の申立は、その前提要件を欠くものであることが明らかであるから、その余の主張について判断するまでもなく不適法として棄却されるべきものである。
よつて、刑事訴訟法第四三二条、第四二六条第一項により、主文のとおり決定する。
(裁判官 真野英一 外池泰治 太田浩)
準抗告の申立(略)